人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Ming Pao Weekly 2011.3.26

続き

達成しなかった映画製作への強い願いは彼に大きな打撃を与えた

彼の遺書で、レスリーは「この一年、人生はわたしにとってとても辛かった。もう耐えることができない。わたしの人生で何も悪いことはしていないのに。何故、わたしはこのようにされるのですか?」と書きました。わたし達のうちのどのくらいの人々が彼の受けた痛みや苦しみを理解することができたでしょう?アルフレッドはこの苦しみを見ましたが、悪霊の存在などは信じていませんでした。彼はただレスリーが、一般的に許容できる治療のコースを受けて、彼の気分を保ち続けていてほしかったかっただけでした。

この病気に感情移入するためには、個人的に気分障害の経験なしでは困難かもしれません。第三者は苦境を理解するのに苦しむ傾向があります。苦しんでいる人の実際のニーズを無視して、客観的に見ようとするからです。どうやらレスリーは容赦ない痛みにより、絶望と無力感と不安感に巻き込まれてしまったらしいのです。彼は自滅の淵に追いこまれてしまったのです。彼の最後の自己演出のドラマのエピソードは現実の人生においてどのような映画の役よりも扱いが難しかったのです。彼が人生の幕を閉じる前、底知れない絶望感と無力感に沈んだのに違いありません。

レスリーの病気の原因は何だったのでしょうか? 「彼はいつも映画監督になりたがっていました。中国の投資家が彼の才能を大いに賞賛しました。そして彼はレスリーに経済的支援を計画しました。」レスリーは脚本を選びました。それは1939年の青島を舞台にした物語でした。アルフレッドは「わたしは青島でいくつかのインテリアデザインプロジェクトを以前にやったことがあリました。彼は場所についてのわたしの意見を求め、またわたしに「さらば、わが愛 覇王別姫」のスタッフと一緒に仕事をするつもりだと言いました。全てが順調に進んでいるように見えました。」と分析して言いました。でも、レスリーは脚本と青島での舞台設定が予想したほど望ましくないことがわかり、レスリーは落胆しました。それらの問題に加えて、財政的な問題が起こりました。それがもとでレスリーは鬱に落込んでしまいました。

「彼の鬱病は、彼自身の考えにとらわれてしまったことから生じたのでした。わたしはいつも彼に(失敗した映画製作の計画について)ことわざで言われるように「不幸中の幸い」であると言っていました。それはまだプロジェクトの初期段階でしたので良かったのです。もし、撮影の半ばに入ってだったら、より多くの打撃があったでしょう。恐らく、彼は良い脚本を無駄にしたことがとても辛かったのでしょう。」気分の変動で、レスリーはさらに胃酸逆流の症状に苦しみました。それは彼の食道に炎症を起こしました。

続く
by Franny64 | 2011-05-01 17:25 | Magazine

レスリー・チャン(張國榮)に関するmy memoir 


by Franny64