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2006.04.02 “The Reminiscence of Leslie’s Artistic Life” Seminar - Part 3

質疑応答

「彼が参加したどのような仕事も真剣に良心的に行われた」

観客5:監督、香港の映画産業が最も低迷だったとき、あなたはこの映画が作られたといいました。もし、わたし達が「流星」とレスリー・チャンが最も高い芸術的成果をあげた「さらば、わが愛 覇王別姫」とを比較したら、「流星」は比較的小さな作品になりました。しかし、彼の役が、今まで演じてきたどの役とも異なっていたため、「流星」は、もしかすると彼の芸術的な人生の中で非常に特別な映画になることができるはずです。わたしは投資家と監督がなぜこのタイプの構想を選択したのか伺いたいです。例えばこのような構想のタイプの映画は中国大陸や台湾で容易に見ることができます。例えばそれらの国のスタイルの映画では、ホウ・シャオシェン(Hsaio-hsien)によって監督されるヒューマンドラマのように。しかしながら、このような普通の人々を描くものというのは香港ではあまりありません。

ジェイコブ・チャン

わたしは画家の仕事を見て、スケッチも絵であり、ピカソのようなシンプルな筆遣いも絵として素晴らしいと思います。他にもエドガー・ドガのような、バレーダンサーを描いた作品もとても魅力的です。ニールに関しては、彼が描いたものはとても霧がかかっていて、クリアに見えないものでした。わたしが言おうとしていることはそれぞれの芸術にはそれぞれのアーティストの芸術的な見方があるということです。それはそれぞれの映画も同じで、自身の芸術的な見方とフォトグラフィック的な見方があるということです。それが美しいか、そうではないかにかかわらず、もっとも大切な事はその映画には伝えようとしているメッセージがあるかどうかということです。どの哥哥の作品が最も価値があるものなのかを査定することやどの作品が彼の時間を無駄にしたかをいうのは哥哥次第です。わたしの意見では彼が参加したどの作品も彼は真剣に、良心的に取り組んだと思います。どの彼の作品がよいのかと言うことは難しいです。なぜならみなさんの見方は違うと思いますから。でも、今日、このセミナーでわたしが言えることは「すべての作品は哥哥がとても望んだことだった」と言うことです。香港ではすでにたくさんの商業映画があります。多分、わたしの映画のタイプは中国大陸では商業映画と考えられるでしょう。例えばあなたのいう映画のタイプは誠実に撮影された人間性や社会の発展のようなものでしょう。それぞれの社会のシステムで、映画における人間性についての必要条件は異なっているでしょう。台湾は台湾の必要条件を持っているでしょうし、香港も、そして中国大陸もそうでしょう。これは彼の仕事を作っていく誰かの方向付けや支持に大いによるところがあるでしょう。それはすなわち彼が価値があると信じることをするということです。香港の映画がこのタイプに欠けるのは多くの映画が特定のタイプのものに偏っているからでしょう。クリエイターとして、わたし自身の好みは主流とは違う流れのもので、観客とわたしがともに心に触れるもの、多分長い間わたし達が忘れていたものに焦点を当て、作りたいと思っています。それがわたしの原則です。もし、創意連盟の招きの下であるなら、哥哥を純粋な商業映画を作るために、わたし達は彼を必要とすることはなかったのです。彼の心の中では彼は何か価値のあることをすることを望んでいました。まさに1+1=3になるような。一方では彼は香港映画界に貢献することでしょう。そしてまた一方ではこのようなタイプの映画を奨励することができました。そのため哥哥の演技はただみんなにするべき仕事をもたせるというゴールには達していませんでした。わたしが言える1つのことはわたしは構想を余りに重いものではなく、誠実なものにしました。哥哥もあまりにも思い話は望んでいませんでした。でも、愛と思いやりには多くを強調しました。それはまた彼が「流星」を選んだ理由にもなると思います。多分哥哥は「さらば、わが愛 覇王別姫 2」「さらば、わが愛 覇王別姫 3」に出演するよう招かれたかもしれません。でも、多分彼はすでに「さらば、わが愛 覇王別姫」に出演していたのだから参加を拒否したでしょう。それぞれの決定や選択は、その時の多くの異なる事情によっています。
by Franny64 | 2007-05-07 07:02 | News

レスリー・チャン(張國榮)に関するmy memoir 


by Franny64