Hollywood Interview: Wong Kar Wai---part 3
この映画で他にアメリカでよく知られているのはマギー・チャンです。彼女のキャリアの早い時期にこの映画で彼女を観たのには驚きました。
わたしはマギーとはわたしの最初の映画で仕事をしていました。そこで、わたし達のキャリアは同時に始まったといえるでしょう。彼女はその時ミス香港でした。そして女優というよりもアイドルでした。数年後、彼女は演技と概して人生において真剣になりました。彼女は映画女優になるよりもはるかに多くのことに興味を抱いていて、とても興味深い、好奇心旺盛な女性でした。
あなたは中国で生まれて、香港で育ちましたね。映画に夢中になったのはいつでしたか?
わたしのママは全くもっと異常なほどの映画ファンでした。そこで彼女は毎日わたしを映画館に連れて行きました。それは素晴らしい教育でした。
あなたのためになった映画を一つあげてください。
ためになったのかどうか、わたしはクリストファー・リーの吸血鬼の映画、ハマーの映画を覚えています。それはわたしに確かに効果を与えました。それは面白いのですが、わたしはいつもホラー映画を作ることは避けてきました。(笑う)
そうですか。それはアジアの映画と西洋の映画が同時に見られたということですか?
はい、そうです。香港の素晴らしいところは本当に香港の外では見られないローカルな作品があること、そして世界中からの映画が見られることです。それでわたしはすべて見ました。わたしはまた武狭映画も好きでした。
あなたの最初の武狭映画はなんでしたか?
それはTVシリーズでブルース・リーの「グリーン・ホーネット」と、ディビッド・キャラダインの「カンフー」で、それがわたしのこのジャンルを教えてくれました。面白いですね。わたし達はちょうどグリーン・ホーネットについて話していました。ブルース・リーは偉大でした。
「燃えよ、ドラゴン」は多分、わたしが10歳の時に、映画館で観た最初の作品だったと思います。
わたしの友人でサウザンプトンの学生が言っていました。彼は毎週、その映画を見ていたと。なぜなら、観客の反応を楽しめたからだと言っていました。中国人として、彼はとても誇りを感じられたのです。(笑う)
「燃えよ、ドラゴン」はとても西洋人が理解しやすいものだったと思います。なぜなら基本的にジェームズ・ボンドの映画に出てくる武術のようだったからです。ブルース・リーの初期のころの映画と異なり、それはとてもアジア的なトーンで、哲学的でした。
アジアの外の多くの人々が気づいていないのですが、ブルース・リーはただアジアの中で彼の戦いのスキルにより有名になったわけではありませんでした。彼には師匠から学んだ彼の哲学がありました。わたし達は今、「カンフーマスター」と呼ばれる彼の師匠、ブルース・リーの教師、カンフーと武術の大師匠についてのプロジェクトに取り組んでいます。
あなたは視覚的にユニークなスタイルを持っていますし、あなたが芸術大学で学んだことも知っています。あなたの使う色彩感覚に影響を与えた特別なアーティストはどなたですか?
わたしはわたしに影響を与えたのは画家というより、ロバート・フランクのような写真家だったと思います。その当時、わたしは写真にはまっていましたし、それがわたしの専攻でしたから。写真はすべての瞬間をとらえます。「決定的な瞬間」と言われるものです。そしてわたしはそれがわたしを捉えて、夢中にさせるものだと思います。
終わり
The Hollywood Interview: Wong Kar Wai