“The Reminiscence of Leslie’s Artistic Life” Seminar - Part 1
ジェイコブ・チャン
その日、わたし達はペニンシュラホテルのコーヒーショップで3時に会いました。わたしはとてもナーバスになっていました。かたや彼は正真正銘のスーパースターでわたしが大好きな人。そしてかたや報酬がないという提案をしなければならないということで。。。わたしが哥哥に台本について説明する前に、彼はすでにその事情を知っていたようでした。おそらくわたし達が会う前に彼はナンサン・シー(施南生)や何人かの人からこの問題について聞いて知っていたのでしょう。従ってわたしの杞憂は不要でした。彼は映画関係者がただ何かよいことをしようと望んでいることをよく理解していました。哥哥は映画を作ることに参加するでしょうと言いました。なぜなら彼はみんなが仕事に戻ることができること、また特に大切なことはそれによりスタッフがいくらかの収入を得ることができることを望んでいたからです。彼は他の取り決めについては気にしませんでした。彼はただよい映画を作ることを望んでいました。そしてみんなで一緒に仕事がすることができました。わたしは思いました。「すべてがとても早かった。わたしがまだ彼に話をするチャンスもないままに!」
(ジェイソン・ラム:そうですね。あなたはまだあなたが準備したものを言うともいいませんでしたね。)
その瞬間からずっと、哥哥は決して遺憾の意も示さず、苦情も言いませんでした。たった1ドルで彼はその映画に出演する契約書にサインしました。正当な契約として、価値を持たせるためにもわたし達は1ドルを支払いました。それがこのすべての始まりでした。わたしが見た哥哥は12年前に作った映画「聖誕快楽(メリー・クリスマス)」の時に出会った哥哥と同じでした。その時わたしはプロデューサーでした。その時は哥哥の演じた役割ではただ3日か4日働くようにいっただけでした。彼は映画の中ではロレッタ・リーのボーイフレンドでした。彼は撮影中は彼の出番が来ると出て、終わると帰って行きました。その時、わたしは哥哥をよく知りませんでした。今回わたし達のコラボレーションで、わたしはまだ彼に話していませんでした。わたしが「聖誕快楽」の撮影の時に彼にスケジュールの連絡をした人だということを。それを話すにはあまりにわたしはシャイでした。
(ジェイソン:わたしは彼はあなたのことを何かのイベントで覚えていたと思います。)
哥哥と明仔
ジェイコブ・チャン
それからわたし達は「キッド」の台本について取り組み始めました。わたし達は哥哥に台本の準備ができたと同時に彼の感想やコメントを聞こうと準備しました。哥哥はわたしにこう言いました。「監督、どうぞあなたの望むようにアレンジしてください。僕はあなたがすべての問題に関して多くのプレッシャーに直面しなくてもいいことを願っています。もっとも大切な事は僕達が一緒に働いてよい映画を作ることです。僕はあなたの決定に影響を与えたくない。」だから哥哥は台本の修正も他の何に関しても意見を用意していませんでした。多分彼は台本には満足したのでしょう。
わたし達が直面していたもう一つのことは明仔を演じる子どもを見つけることでした。わたし達は人を感動させる子どもを捜す必要がありました。わたしはこの映画を成功させるために、哥哥とは切り離して、さらに愛らしい子どもを、観客が自分の子どものように、または自分の身近にいる子どものように感じさせる子どもが必要だと思いました。わたしは子どもがどのように演じるのか知らず、映画製作にまったく関係のない子がよいと思っていました。なぜなら彼の表情が作られたものであるのが嫌だったからです。その時わたし達は広告を掲示して、多くの子ども達にオーディションに来るようにお知らせしました。最終的にわたしは選ばれなかった子ども達のビデオテープを再検討して、最後に「4歳の明仔」を選びました。多くの人がこの子はたった4歳だと思いました。彼がどのように演技するべきかを知るのは不可能でした。わたし達は予算を超過することは許されませんでした。本当のところ、わたし達の資金はそれほどなかったのです。また撮影にかかる日数も30日以上を越えることはできませんでした。そのため、わたし達は自分のムードをコントロールすることができる子ども選ばなければなりませんでした。そして愛らしく、ピュアで、世間知らずに見える子を。他の候補者は8歳でした。彼は要求されたことをよく理解しコミュニケートすることもとても容易でした。比較するとわたしは4歳の子どもの方が明仔の雰囲気があると感じて、好ましく思いました。8歳の子はとても思慮がありました。そこで次にわたし達は哥哥に意見を求めるために2人の子どもの写真を彼に送りました。哥哥は選ぶのは難しいといいました。彼は個人的に子ども達に会うことを望みました。そこでわたし達は子ども達のグループを彼に会わせる手配をしました。子ども達との一対一のインタビューでは、映画に出演するチャンスということが心理的に子ども達に影響を与えるし、わたし達もそれを望まなかったので、わたし達は子ども達の大きなグループを一緒に出席させました。彼らは会って、哥哥と話をしました。哥哥はわたしに個人的には4歳の子が好きだと言いました。わたしは彼にこう言いました。「う~ん、それは君の選択だよ。もし彼が君の言うことに耳を傾けなかったら、その時は。。。ハハハ」
わたし達は共通の見解を持っていました。子どもを促すためにご褒美と罰の方法は使わないということでです。それはあまりにもよくありませんでした。子どもは長い道を歩かなければなりません。例えばもし彼が上手に演技できたら、林檎や彼とゲームをするなど、わたし達の奨励をご褒美をあげることで示すことはよい方法ではありませんでした。哥哥もまったく同じ考えでした。わたし達はものの価値についての子どもの視点に影響を及ぼすことはできませんでした。映画を作ることは大人の仕事で、子どもに影響を与えるべきではありません。哥哥は言いました。彼は撮影のセットを組む前から早く来て、子どもと毎日遊ぶだろうと。そして彼らは親友のように、幸せそうに遊んでいました。彼は子どもとよい関係を築き、子どもが俳優ではなく、家族の一員であるように感じさせるために毎日そうしていました。子どもの家族は哥哥の理解と親切さを賞賛していました。哥哥はただ映画を作る目的のために彼の友人になったのではありませんでした。でも大切な事は、彼は将来子どもが演技することの価値や人間性の価値について、彼の視点を変えないことを願っていたのです。それがわたし達が変えた方法でした。わたし達は決して子どもにプレゼントをあげませんでした。わたし達はそれを彼が知ることを望んでいました。なぜなら彼はプロではないのです。そのために彼はゲームでよく遊べませんでした。例えゲームをやっていたとしても終わりにしなくてはなりません。まるですべての男性が始めたと思ったら終わりにしなくていけないように。。。。哥哥は彼にすでに教育していました。
哥哥が毎日セットにいることは大変なことでした。一方では彼は彼自身を役に投影しなければなりませんでした。また一方では彼は子どもとの間でよい関係を確立させなければなりませんでした。彼が直面したプレッシャーは2つありました。一方では彼は観客をがっかりさせることを望んでいませんでした。彼は観客に与える彼のイメージが中産階級やホワイトカラーのクラスだということを知っていました。それでも彼は今は一晩ですべての富を失った男として描かなければなりませんでした。そのため彼の演技スキルで観客に賞賛される、よい、説得力のある演技をしなければなりません。他方、彼は子どもが彼の演技を理解するかどうか考えなければならなくて、そして彼のムードが子どもに影響を与えないように考慮しなければなりませんでした。彼は幾分骨が折れると言っていました。第1に彼の対抗者はただ子どもだけでした。第2に彼は観客に失望させることを望んでいませんでした。第3に彼は、彼が報酬を受け取らなかったという印象を持たれることを望みませんでした。この映画は無料の映画です。何も受け取らないということでこの映画がよいものではないという印象を人々に与えることを望んでいませんでした。
あなたは彼がどれほどのプレッシャーの下にあったか想像できますか?
(続く)














