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Wong Kar-Wai’s Days of Being Wild---part 1

Source: Wong Kar-Wai’s Days of Being Wild
A Kino International Release by Peter Brunette

ウォン・カーワイは彼の芸術的な映画「花様年華(2000)」のヒットでもっともよく知られているが、彼の素晴らしさはそこから始まったのではない。1991年に上映された彼の2作目「欲望の翼」にまで遡れば、完全に彼の素晴らしいテーマになる愛と時間に充ち溢れている。事実、それは彼の映画が「王家衛の映画作品」になる核心になったと言える。

イギリスの評論家トニー・レインス(Tony Rayns)は「脚本家として、また監督としての彼のかつての仕事で「欲望の翼」の構成や詩的な部分を予期するようなことはなかった。王の最初の映画「今すぐ抱きしめたい(1988)」がもたらした商業的成功と評判の良さが、アジアに広がり、以前の映画で確立された独自の商業的な方法を引き継いで、王のプロデューサーは新しい投機事業のために、6人の香港でもっともよく知られた歌手たちと契約した。残念なことにこの映画はー計画的なペースで、実験的に考え出された物語で、いまでは素晴らしいと言われているがーその当時の観客をかなり驚かせた。

王家衛はフランスのインタビューでこう語った。「完全なる失敗でした。韓国では観客はスクリーンに物を投げつけさえしました。」

ジャンルと芸術的な映画

「今すぐ抱きしめたい」で、王は何よりもギャングのジャンルの映画と彼のギャングに対する意識との間に妥協を見つけることに関心を持っていた。そして彼の興味は彼自身、それをもっと自意識の強い芸術の感じに表現することだった。

「欲望の翼」は王のほとんど完全にジャンルを超えた作品として相応しい。この映画の構想は以前の映画に比べてより複雑で、情緒的だが、最も重要な特徴は内容で、より意識されたテーマー執念深く、不可能な愛ーである。多くのロマンチックな組み合わせが示唆されて、形になり、やがて壊れる。リーチェンとミミ/ルルは共にヨディを求めている。しかしヨディが真に求めているのは彼の母だ。警官のタイドはリーチェンを求め、サブはミミ/ルルを求めている。(「花様年華」では映画の中で、王は最終的に愛の可能性を諦めるかのように、ただ普通の2人が自分の意志で別れるのを決めたり、決して関係を成就させないようにする。)

さらに気をもませることに、多分、ヨディの年老いた叔母で、養母の レベッカもヨディを求めているように見える。それは彼らのいらだたしさやかなり緊迫した感情的な絆と嘘とわがままと隠された性的な欲望によるものである。映画では少なくともより通常の関係に比べて複雑さを表している。そして、偶然、ヨディとタイドが映画の終わり近くにフィリピンのホテルで会っている時、そこには王の1997年の映画「ブエノスアイレス」のような同性愛の雰囲気がある。多分、この映画の中での唯一の無償の愛の行為は、また王の特徴として、それは放棄の行為である。-サブがヨディをフィリピンに探しに行くために、ミミ/ルルにお金を与えた時である。

まだ彼らが愛の初めから終わりまで思い、話す間に、ひねくれたことに(そして「花様年華」と同様に、完全に異なる理由のためではあるが)わたし達は決してスクリーンではセックスのヒントは見られない。にもかかわらず「欲望の翼」は、官能的である。王は南アジアにセットした高温多湿のジャングルの映画を10年間も呼び込むことができる。うるさく騒ぎたてる熱心なファンを通して。

叔母の単純なクローズアップのカットでさえも、確かに官能的に見せられる。例えば、疑いを引き起こすようにヨディからジャンプして、暗示するかのように中間のショットから叔母のクローズアップを撮影する。例えそれが視覚効果に過ぎないとしても、カットは確かな瞬間と体の接近を暗示している。

続く
by Franny64 | 2009-08-10 00:17 | Magazine

レスリー・チャン(張國榮)に関するmy memoir 


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