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An autobiography by Leslie (1985) Commercial Radio  Chapter 6

レスリー自身が語る自叙伝 香港コマーシャルラジオインタビュー 

6章 ショービジネスに入る
続き

RTVドラマシリーズに参加する





心に決めた。僕自身を芸能界に存在させるためには、RTVのバラエティー・ショーに出て、歌うしかなかった。その後、バラエティー・ショーはすべてなくなった。出演するのに十分な歌手がいないという理由からだった。だから僕はほぼ3ヶ月間、何もすることがなかった。その時、マック・ドンハン(TVプロデューサーで監督)の勢力が強かった。そして彼は幾つかのTVドラマ、「鱷魚淚」や「大丈夫」などを撮影していた。彼は僕に、TVドラマ「鱷魚淚」の役を演じてみないかと聞いた。また、僕には演技について、いくらかの可能性を感じると言った。結果として、彼は僕にテレビのTVドラマ・グループ、すなわちドラマグループに入ることに興味はないかと聞いた。その時、僕の唯一の関心事は、働くべきものがあるかどうかということだけだった。

僕はドラマグループに入り、その後幾つかの、以前よりは評判のいいTVドラマを撮影した。それには「對對糊」と「甜甜24味」も含まれる。それらはティーンエイジャーを狙って作られた。それが大体2年ほど続いた。その間、僕はローマン・タムから紹介されたエージェントに会った。その人はローマン・タムの前のエージェントで、僕の前のエージェントだ。その間、僕はダニー・チャンとも知り合った。人々はその当時、ティーンエイジャーの映画に関心を持っていた。そこで僕はダニー・チャンと2本の映画を撮った。1番目は「喝彩」で、僕は不良青年の役を演じ、2番目は「失業生」で、僕はまた不良青年の役を演じた。僕はその時、わからなかったが、これが本当であるか否かは関係なく、女性ファンはとても純粋で、ナィーブだったので、彼女達には、僕がその2つの映画で不良青年だったので、現実の生活でも不良青年だと思われた。その為に僕は何年も、不良青年と認識された。

僕のレコードの仕事に関しても、どちらも見通しは良くなかった。誰も僕のレコードを作ることを望んでいなかった。さらにある日、僕がポリグラム(レコード会社)に行った時、ファン・ティムチー氏、ポリグラムの経営者は僕に、「君の契約はすでに切れた。君は2枚のレコードを出した。1枚は中国語で、もう1枚は英語だ。そして反応は理想的ではなかった。君は自分のレコード会社について選択をした方がいいと思うが、わたし達は君と契約を続けることは考えていないから。」と言った。その時、僕は本当に怒っていた。でも僕のそのことについて、僕の仲間達には話さなかった。だからずっと長い間、多くの僕の友人達は、僕はもうすでにやめたんだと彼らに言う日まで、僕がまだ、ポリグラムにいると思っていた。多分、どういうわけか、明るい希望はいつもあったんだ。なぜならその時は新しい挑戦が僕を待っていたから。

続く

English ttranslated by Daydreamer
by Franny64 | 2010-01-27 00:18 | His History

レスリー・チャン(張國榮)に関するmy memoir 


by Franny64